2014年1月1日水曜日

新年明けましておめでとうございます。

今回は桐杏学園本部からのリレーコラムです。

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本年が、皆さまにとって、しあわせな良き年でありますように、心からお祈り申しあげます。

 昨年、桐杏学園は創立40周年を迎えました。この40年、桐杏学園にも良いこと、悪いこと、本当に様々なことがございました。この40年を人に置き換えますと40歳は、言うまでもなく論語の“40にして惑わず=不惑”にあたります。孔子の生きた2500年前の平均寿命を50、現代を80として考慮して、1.6倍すると、現代の不惑は64歳位でも良いのかなと思ったりもしますが、15歳=志学、30歳=而立もまた1.6倍となるなら、親はたまったものではありませんので、不惑=40歳のままでよいのかなと思います。

 この不惑、その意味は“どんな問題が起きても心に迷いは生じなくなる”こととあります。どんなことも迷わず、スパーンと判断できる力を40歳までに蓄えなさい、という教えなのでしょう。そうありたいと思いますがなかなか難しいですね。

 ところで今年は「午年(うまどし)」です。馬にちなんだ諺は数多くあります。御存知の方も多いと思いますが、“塞翁が馬”という故事を新年ご挨拶代わりに改めてご紹介させて頂きます。これは中国の古書「准南子(えなんじ)」に出てくるお話です。

 概要は次のとおりです。

砦の近くに塞翁という老人が住んでいた。ある日、この老人の愛馬が敵陣に逃げてしまい、人々は口々にこの不幸を慰めた。数ヶ月してその逃げた馬は、立派な馬を引きつれて老人の元に帰ってくる。人々は口々にこのしあわせを喜んだ。ところが、彼の一人息子がこの馬に乗って落馬し、重傷を負った。人々はふたたびこの不幸を嘆いたが、塞翁は、幸は不幸をもたらし、不幸は幸を連れてくるので、息子の骨折も、不幸とはいえないと考えた。
やがて戦争が起こり、近隣の若者はみな招集され、全員が気の毒に戦死してしまったが、老人の息子だけは、足が不自由であったため、招集をまぬがれ、死なずにすんだ。

この故事が言わんとすることは、
「人間は、何が幸せで何が不幸かはわからない。現在は表面には不幸と見えるけれども、それは次にくる幸福の前兆なのだ」ということでしょう。

バブルが崩壊して24年。バブルが弾けたのって同じ午年だったのですね、もうそんなに経ちますか。その間、長びく不況により多くの人々が苦しみました。経済問題だけではありません。震災もありました。その度毎に、人々は絆を確かめ合い助け合ってきました。そして、どんな苦しみも何れ来る幸せの前兆であり曙光なのだと考える逞しさを身に付けたように思います。私たち一人ひとり、できる事は違いますが次の世代に相応しい子ども達をしっかりと育てていくことが、全ての大人に課せられた課題であることは確かです。桐杏学園幼児教室スタッフも、日々惑いながらも、子どもたちにできる限りのことをしていきたいと思っています。創立41年周年、桐杏学園、今年も頑張ります。宜しくお願い申し上げます。

                        2014年1月1日 桐杏学園代表